昭和二年のひな祭り、アメリカから日本の小学校や子どもの施設に青い目の人形が平和の使者として贈られてきました。
二十年にわたり日本で宣教師、英語教師として活躍したS・ギューリック氏が、当時アメリカ国内で日本人移民への排斥運動が、各地で起き、心を痛めて思いついたものです。良識ある米国の市民や、子どもの気持ちを人形に託し、日米の平和友好親善に役立てたいと考え、市民団体などに呼びかけたのです。
この運動は、またたくまに全米に広がり、一万二千七百三十九体の人形が集まり、日本へ贈られてきたのだそうです。
日本全国の小学校や子どもの施設で、まだ珍しかった「青い目の人形」と、日米両国旗が飾られ大歓迎をうけました。
日本では、答礼として二百六十一万人もの子どもたちが一銭カンパを行い、「黒い目の人形」をアメリカへ贈りました。
その十数年後の日米の開戦により、「青い目の人形」たちは、敵国人形として焼かれたり、破壊されたりしました。
現存する横瀬小学校のカロリンは、そんな難を逃れ大切に保存されてきたのです。
これからも、反戦平和友好の象徴として、横小の子ども、日本の子どもが幸福であるように見守り続けて下さい。
(昭和63年7月6日 PTAだより 第98号より抜粋)